アメリカ留学赤裸々体験記 パート2


アメリカ2

 


前回のインタビューの続きです。

そっちからどうぞ!

 

前回までのお話。

バレエ留学を決心した南部さんは知人を頼りアメリカへ。

いざ生活してみると、レッスンはおろか「生活費」が大変だってことに気がつきました!

ただ今留学したから2ヶ月目。

貯金はもうすぐ底を突きます・・・

 

 

 

Q ということで、どうしたんですか!?笑

本当は許されるはずのない留学生でのアルバイト生活を始めることにしました。
というか、生活をしていくために、私にはその選択肢しかなかった。

必死でした。

 

留学生活を送りながらのアルバイトなので、
フルタイムでは働けなかったし、ましてや現地で働けるだけの語学力もなかったので、
最初は自宅近くに あったジャパニーズレストランのキッチンで
仕事をさせてもらえるチャンスを頂けました。
皿洗いから、開店前の仕込み、また、野菜を切ったりチーフシェフの
使いっパシリで食材の搬入作業などを繰り返す仕事を週五日ほど。

 

ヨチヨチ歩きではありますが、

何とか向こう4年間生活するための土台作りをスタートさせることができました。

 

USキャピタル前 1997年

USキャピタル前 1997年

 

Q  向こうでのオーディションはどうでしたか?

何故か・・・ミュージカルのオーディションの内容はどういうものだったか?
という記憶はあまり残っていないんですが、
私が受けた複数のバレエ団のオーディションは全て通常のクラスレッスン形式で行われていました。

 

ニューヨークで毎週創刊されるオーディション情報誌「Back Stage」を見ながら参加するオーディションを決めます。
多くのオーディション(無料)は事前申し込みが無かったので、当日会場へ直行し、

1レッスン無料で受けられる特典を利用しては、
自分の現在地を確認するという作業を繰り返していました。

 

オーディション会場では、レジュメ(履歴書)と
ヘッドショット(顔写真)を受付で渡して後は通常レッスンと同じ。

 

ただ一つだけ違ったのは、
落とされる人は、レッスンの途中でどんどん帰らされたということ。

 

自慢ではありませんが、私が留学中に受けたオーディションで、
最後まで参加できた物は一つもありませんでした(苦笑)。

 

バーレッスンが終わった後、
もしくはセンターの途中で担当者から、

 

「はい!今、 私から名前の呼ばれなかった人はお疲れ様でした!」

みたいな感じで、どんどん落とされ人数を減らしていく

オーディション形式が殆どだったように記憶しています。

ホワイトハウス前 1997年

ホワイトハウス前 1997年

Q ダンサーとしての生活で印象に残っていることは?

留学中、最後に住んでいたエリアは
73丁目のコロンバス・アヴェニューとアムステルダム・アヴェニューという
ABTやNYCBの本拠地があるリンカーンセンター近く。

 

シーズン中は毎日のようにオペラハウスへ通い
安い学生チケットを買っては色々な演目を観ていました。

 

同じクラシック作品でもダンサーによってこんなに全体の印象や舞台後に残る余韻って違うんだ・・・
などなど自分で日記や記録などをつけながら鑑賞していたのを覚えています。

 

その他、環境面では自宅アパート 近くにあった
ダンススタジオ(通っていた学校とは別)には
ABTのダンサー達も頻繁にオープンクラスを受けに来ていました。
当時ABTに在籍していた、アレッサンドラ・フェリ、ウラジミール・マラーホフ、
パロマ・ヘレーラなどのダンサー達とスタジオ内で接触する機会が
あったことも影響していたと思います。

 

ある時、私がクラスを終え更衣室で一人着替えていると、
金髪に派手派手なレッスン着姿で、やたらと身体の絞まった男が現れる。

顔は見えないから誰だかは分からない。

 

でも、狭い更衣室の中には彼と自分の二人だけ。
室内には他のスタジオで行なわれていたレッスンのピアノ曲がBGMに流れ
何となくお互い話さなければいけない、そんな雰囲気を感じ ていたころ、その金髪の男はこちらを振り向いた。

 

. . .あっ! マラーホフ。

 

自分でも無意識のうちに彼の名前を叫んでいた。
「今日はどうしてココに?」
METのシーズン中は、たまにアップ目的で来ているんだ。
「今日は本番はないの?」
うん、今日は僕の出番はない、

でも明日はソロル踊るよ(バヤデール)
「そっか~、じゃあ明日はチケット取ってないけど、せっかくだから観に行くね」
ありがとう。

 

世界的なスターダンサーと
更衣室で何気ない会話をできる環境、
いつも舞台や映像の中で見ているダンサー達と接触をもてた経験がまた、
私をバレエの世界へと引き寄せてくれたのかもしれません。

 

 

Q留学時代を省みてどうでしたか?

 

今になって思うこと、
それは、人間は環境(出会い)や
投資する時間とお 金で幸せになれたり、
また不幸せになったりもする。

 

上記のことをプラスの方向へ導くことが出来れば、
例え思い描いていた夢や目標が達成できなくても、
「人生豊かになることは出来る」ということを今は実感しています。

 

バレエ整体院院長さんの貫禄と、幸せですといい切れる自信の笑顔です。

バレエ整体院院長さんの貫禄と、幸せですといい切れる自信の笑顔です。

私の場合、ダンサーとして成功を収めることはできなかったけど、
バレエというツールを通し、
また留学(環境)した経験によって得た財産が、
その後の人生において自分のUSP(独自性)となり、
バレエに関連する仕事に就けているので、
本当に幸せな人生を送っていると思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

いかがでしたか?

赤裸々日記、と言う名前どおり、偽りのない留学体験をお話していただきました。

 

インタビューでは「ダンサーとして成功を収めることはできなかった」

なんて謙虚な南部さんですが、日本でのキャリアも凄いので

「日本の様々なバレエ団でのフリーランスダンサー生活暴露編」はまた次回。

 

読みたい!って言う人は連絡ください。

早くアップできるように編集しますから。

 

ご本人に質問したい!

もっと話が聞きたい!

「幸せな人生を送っています」って言い切るほどのバレエ整体師ってどんな感じ?

と言うひとは是非オフ会に遊びに来てくださいね。

 

他のゲストスピーカーさんも凄いですよ!

ふふふ。

 

 

Happy Dancing!

ai

 


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