愛さんのバレエ留学記 摂食障害、疲労骨折と年末公演

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ちょっと時間が空いてしまいましたが、15年私のメルボルン生活すべてを過ごしたバレエ学校から「卒業笑」するのを記念して、愛さんの留学記シリーズを書いています。

実際にどうやってオーディションし、準備し、留学先でのケガについてを書いてきました。

 

留学早々ケガをし、踊れない日々が気づけば6か月に渡り。

季節は春、本格的に年末公演に向かってリハーサルが行われています。

なんだかよく分からないケガ(当時の話)はよくなり、今まで踊れなかった分をどーにかしようと必死でレッスンに戻りました。

 

  • 長期休んだくせに、一気にレッスンに戻る
  • 食事をしっかりととらない(摂食障害)
  • 怪我からくる鬱、焦り

 

この3つを混ぜて出来るカクテルはなんでしょーか?

そう、疲労骨折

 

スタートは脛が痛いなぁくらいだったけど、最近ジャンプしていないし?程度でムシ。

ふくらはぎがパンパンだったけど、それはケガでポワント履いていなかったからだし、とムシ。

毎日踊って疲れているんだから、トレーニングなんてしないし、ケアもしない。

 

年末公演は白鳥の湖全幕をオーケストラでやる、ということで校長先生からは皆にお達しがでていました。

白い衣装を着るのだから、痩せていなければいけない。

もちろん、私は今の段階では太すぎるので早く痩せろと言われ続けていました。

 

でも脛の痛みがあまりにも継続するのでフィジオに診てもらうと深層コンパートメント症候群だと判明、そして疲労骨折の可能性があるって。

 

はぁ???

 

ま、2回目のケガなので1回目のケガから学び、ケガの仕方も上手になったことでしょう…

なーんてね。

痛みは無視ですよ、はい。

 

「貴方は太すぎるから2幕の白鳥には出せない。」

それでも大きな白鳥のアンダースタディに入れてもらっていたのは、校長先生なりの𠮟咤激励だったのでしょう。

体型さえ直せば、ソリストが出来んだから頑張りなさいよ、って事だったのでしょう。

 

そうそう、何度も何度も校長先生はDLSのブログに出てきています。

今でも尊敬する恩師です。

彼女のケガに対する考え方、そして体形についての考え方は15年間私が学校にいる間に変化しています。

昔の彼女を知る生徒や、先生と話をすると驚かれるくらい笑

大きな理由は、バレエ界の趣味嗜好が変わってきているからだと感じます。

 

彼女は毎年ヨーロッパで様々なバレエ団、スクールの見学をするのね。

そこでどれだけダンサーが筋トレをしているのか、筋力重視になったのか、を肌で感じたのだと思う。

(あ、まだまだ完全に理解があるわけではないよ笑)

 

でも、このストーリーの中の彼女はそうではない。

今だから、彼女と10年以上生徒という立場ではない形でかかわってきて、彼女なりの優しさというのを理解していますが、当時の私はボロボロだった。

 

  • 太っているからケガをした。
  • 太っているからダンサーではない。
  • 太っているから価値はない。

こればかり頭にあって、新しく痛みがあります、というのも恥ずかしかった。

だって、ケガしたのは体重が重いせいでしょ?

だったら痛みを我慢して、踊り続ければそのうち痩せて、痛みもなくなるんでしょ?

 

日本から来た当時は、無駄に自信があり、夢があり、留学生活を堪能していた愛ちゃんは、

1年もたたないうちに、完全なる摂食障害、自信なし、鬱で毎日泣き、情緒不安定、そして常にケガをするダンサーになっていました。

いや、ダンサーじゃないね、だって踊っていないもの。

 

飛び級できたほどのテクニックや、パドドゥクラスで「愛はこれ以上やる必要ない」と言われるほどの演技力もすべてなくなりました。

 

鏡を見るのが嫌で、

体重計は常に隣にあって、

何よりもバレエが楽しくなかった。

学校に行きたくなかった。

 

そしてあるリハーサル。

今から4幕の白鳥エントランスシーンを練習するというところで、

みんなが身長順に並んで待っているところで。

校長先生に手招きされ、彼女が座っている椅子の隣に行くと

「あなたは太すぎるから白鳥から落とした」と一言。

 

15年たった今でも、はっきりとそのシーンと気持ちを覚えています。

大泣きはしなかった。

恥ずかしかったし、悔しかったし、ただ居なくなりたかった。

 

だけどリハーサルだからね。

アンダースタディとして振り付けをすべて覚えるように言われ、端で練習していました。

 

他の子達、ピルエットがオンポワントで2回転できるか出来ないか、の子がスワンをやり、

飛び級をしたはずの私は選抜外。

テクニックじゃない、どれだけ踊れるかじゃない。

全ては体形、見た目なんだとその時思いました。

 

ただ、3幕ではハンガリアンプリンセスをやらせてもらえました。

衣装の裾が長いから、太い脚は隠せるでしょ、って。

 

ハンガリアンのリハーサルでのこと。

群舞の子達が演技をせず踊っていたみたいで、その時に校長が

「愛は、ケガもして、色々大変で(ここで何かを言いかけて止まる)、それでも毎回ちゃんとやってるじゃない。彼女とサム(そのあとローザンヌに出た子)だけで十分よ」と皆に言ったのを覚えています。

 

何か言いかけた部分、それは私にはわかっているんです。

「痩せろと言われ続けて」

って言いたかったんだと思う。

でも、その群舞に拒食症の子がいたから言葉にしなかったんだと思う。

 

心の中では都合のいいことを言って、と思っていました。

だって群舞の子達、100%でリハしていなくても、スワンだもん。

私はいくら頑張っても太っているから無理。

 

疲労骨折したのは私の責任。

スワンに出られないのも私の責任。

体型管理が出来ないのは私の責任で、ダンサーになる資格はない。

 

疲労骨折をアイシングしながら(ツッコミどころがいっぱい笑 良い子は真似しないでね)、年末公演を終えた時には自分の事が嫌いでした。

 

この1年、

  • ケガについてどう対応すればいいかを学び
  • 予防法を理解して、毎日の生活に取り組み、
  • 食事がケガのリカバリーに与える影響や、たとえ健康のためにと謳っていたとしても、全てのダイエットがケガの修復具合に悪影響だと分かっていたら。
  • ケガをしたら気持ちがダウンして当たり前で、それに対してどう対処するかを知っておけば。

例えケガを回避できなかったとしてもHappy Dancingの留学1年目になったと思うのね。

 

DLSでよく書く「19歳の愛ちゃんに伝えておきたかった事」というのは本当にその通りで、

DDDのふみさんを皆さんにプッシュする理由も、ケガと栄養って親密に繋がっているから。

自己満足の塊みたいな感じにはなりますが、私がDLSをやっている理由はここなんだよね。

 

満身創痍で終わったバレエ留学1年目。

ただ、日本に戻っても寂しさは変わらず、2年目の途中でバレエダンサーになる夢を諦めた経緯はまた次回

 

Happy Dancing!

 

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