失敗しないならチャレンジしてない?
失敗を避ける行動は本当に正解?
バレエのレッスンやエクササイズでも大切な目標の考え方を、一緒に見直してみませんか?
Transcript
皆さんこんにちは、DLSの佐藤愛です。
今月は久しぶりにお喋りポッドキャストをお送りしていますが
先週のエピソードはいかがでしたか?
いつものような論文を読み解き、バレエやエクササイズを考えていった方が好き?
もしそうだったら、どのエリアに興味がありますか?
今月みたいなおしゃべりポッドキャスト、年に数回だったら楽しんでもらえてる?
是非、ポッドキャストの感想や内容のリクエストを
hello@dancerslifesupport.comにメールして教えてくださいね。楽しみにしております。
さて、2月末から3月末まで1か月以上、日本で過ごしてきて感じたこと。
今日は「失敗」という概念についてお話ししてきたいと思います。
まずね、この言葉自体にネガティブなイメージがあるじゃないですか。
だから言葉の定義から会話をスタートしようと思います。
ちょっと話はずれるんだけど、今回の来日で後悔したことの一つは
日本で広辞苑でも買ってくればよかった!ということ。
確かにネットで色々と調べられる時代なのですが
誰でも、そして、今ではAIでもネットに情報が載せられる時代
アナログでも、出典元がハッキリしている方で調べたいと思ってしまいますが
その話はまた今度。
さて、「失敗」という言葉の意味をネットで調べてみると
上手くいかなかったこと、やり損なうこと
目的を達成できずしくじることなどが出てきました。
ちょっとガッカリしました?
別に隠れた、秘密の意味などなくって、そりゃそーだ!って感じの結果ですよね?
そこが大切なの。失敗って、そりゃそーだ!って感じなんですよ。
失敗は当たり前
一日全てが上手くいく日なんて、そうそうないじゃない?
ゴミ箱に投げたゴミが入らなかった
コップに注ごうとしたお茶がこぼれた
サイズの違う乾電池を買ってきちゃたなど
やり損ねることって一日に何度もありますでしょ?
O時O分のバスに乗る予定だったけど、思ったより準備に時間がかかって
一本遅れちゃったみたいなしくじりもあるでしょう?
つまり、失敗って当たり前なんですよね。
もちろん、今あげた例は小さな失敗だけど、大きな失敗もありますよね。
今回の来日では、というか今回の来日「でも」、私はいくつか失敗しました。
調べが甘くて、時間通りに駅までは着いたんだけど、待ち合わせ場所には遅れてしまった。
なんていう小さい失敗から
インストラクターコースの授業を行うスタジオのサイズを理解し間違えていて
急遽異なるスタジオを手配しなければいけなかったという
多くの人に影響するし、お金も大きく動くような失敗もありました。
それらのイベントから1か月以上経っている今なら、どうってことはないんですが
待ち合わせに遅れてるけど、迷子になってた時は、イライラしたし、焦っていた。
スタジオ手配については、臨時手配が完了して問題が解決した後も
動悸が止まらなかったり、夜中にパニックで目が覚めたりなど
身体的な反応があったくらい。
失敗は当たり前、と知識としては分かっていても
実際に失敗と直面している時は、気持ちにも、体にも影響があるんですよね。
それって本当に失敗なの?
辞書の定義からも失敗しないことの方が少ないと分かっていても
失敗して落ち込まない人はいないと思います。
だから、失敗を避けることを考えて当たり前だとも思う。
でもね、失敗を避けることと、成功することはベツモノだということを
理解しないといけないと思うのね。
待ち合わせに遅れた例を使いましょうか。
バレエを観に行く前に母と「ランチに行こう」って言っていた約束に遅れただけなんですよ。
しかも、早めにスケジュールを立ててたから、開演にも問題なく間に合いました。
そうは言っても、迷惑はかかるよね。
毎回待ち合わせに遅れてきたら
嫌なヤツになっちゃうだろうし、時間にルーズだと思われて当たり前だとも思う。
私が逆の立場だったら、15-20分くらい相手が遅れてきても別に気にしないんですよ。
日本はないかもしれないけど、メルボルンだったら電車の遅延ってそれくらいだし
道が混んでいることもあれば、駐車場が見つからないこともあるかもしれない。
理想の世界では、それを考えて早めに家を出発することかもしれないけれど
一時間に三本しか電車がなくて、あまりにも暑い夏で線路が曲がっちゃった場合
一本前に乗っても遅延なんだよ。
笑っちゃうかもしれないけど
熱でレールが曲がっちゃって電車が動かない夏が実際にありました。
でも、楽しみにしていたバレエに間に合わなくて
一幕全部観れなかったらそりゃー残念だと思うから
遅れてもOKって言っているわけではないんですが、今回のケースではってことね。
インストラクターコースのスタジオの変更についても考えてみようか。
実はね、オフラインウィークの授業では、スタジオを変更しないこともできたんです。
1日目の授業の殆どは、私が誰かの体を使って説明しているのを
みんなが立ったり、座ったり、集まったりして
見ながら質問したり、メモする時間だったから
スペースが狭くても可能だったと思います。
2日目の授業は練習会だったので
1グループが練習試験しているのを見ながら改善点をディスカッションするという形でも
有意義な勉強になったと思います。
では、どうして急遽スタジオを変更したのか?
それは私がこの2日間で求めていたものは、みんなが練習できる
つまり、グループに分かれて動けるスペースを提供すること。
学びも大切だけど、アプトプットが出来る場所
つまり、指導練習が出来る場所を提供したかったから。
よって、そのゴールに合わせて会場を変更しました。
たとえ、それが参加者から文句を言われることになっても
ビジネス的に出費が多くなっても。
失敗しないならチャレンジしてない
なんで失敗例を話す中でゴールについて話しているかって?
だって、失敗という言葉の定義の中に「目的を達成できずしくじること」というのがあり
達成したい目的を定義しなければ、何をもってしくじるのか
つまり、何を失敗と判断するのかを話すことが出来ないからです。
だから、バレエを観に行くという目的の場合は、ランチに遅れても失敗じゃない。
もし、たくさんお金を作ることが目的の場合は、スタジオを変更した方が失敗になる。
だからこそ、失敗したって悩む前に、失敗を避けようと考える前に
何が目的で、何を達成したいのか?を明確にする必要があると思うのです。
だってさ、究極論だよ?
遅れないようにするには、待ち合わせしなければいいんだよ。
不測に事態に対応しないようにするには
現地セミナーやライブイベントをしなければいいんだ。
そうすれば、絶対に遅れることはないし、イベント直前に急遽変更することもない。
でもそれって、私がやりたいことだったんだろうか?
一年に一回しか会えない母と
バレエを観る前に抹茶ティラミスを食べにいくこともしつつ
日本でしか観られないバレエを観る。
ネガティブな意見を覚悟のうえで
それでもコースに申し込んでくれた人達が最大限試験に挑める場所を提供する。
こっちが私のやりたいことだったら
思ったように物事が進まないことがあるであろうという仮定の下
チャレンジすることじゃないかしら?
逆を言えば、失敗しないならチャレンジしていないんじゃないかってこと。
失敗すら出来ない日が来る
毎回来日する度に、祖母を訪ねます。
父方の祖母は90歳を超えているのに一人で生活しているんだけど
耳も遠くて普通に会話が出来ないし、腰が曲がってしまって歩くのも大変。
だから、彼女は殆ど家から出ず、人と合わずに生活しているの。
補聴器もあるのだけど、嫌なんだって。
字幕を付けていれば問題がないからテレビを見ていることが多いみたいです。
手押しの買い物かごがあったら歩けるけど
雨が降ったら傘はさせないし、かごに入る分しか買い物は出来ない。
なんでこの話をしているかというと
いつか人生の中にはチャレンジしたくても出来ない日がやってくると
私は毎年見ているからです。
頭もしっかりしていて、他に痛いところはなくて、自分の歯も残っていて、健康なのに
物理的に出かけることが難しく、会話が出来ないので
人と会いたくないというのも相まって
ずっと家の中にいるような生活になってしまうことがある。
だからこそ、数か月後には「あの時、焦ったよね」
数年後には「あー、そういうこともあったよね」
十年後には忘れているかもしれない
”失敗”というものを恐れる必要はないんじゃないかと思うのです。
ご存じのように、来週5月12日から
DLS公認スタンスインストラクターコースの6期生の申込が始まります。
約10か月のコースの中で、何度も出てくる試験やアセスメント。
試験があれば落ちる人もいるし、アセスメントがあれば、再提出が必要な人も出てきます。
もし、失敗を避けることがゴールだったら
- 試験を受けなければ、試験に落ちません
- アセスメントをしなければ、再提出の必要もないです
コースを受けなければ、出来ない自分や、分かっていない自分を知らなくて済みます。
でも、目的が
- 良い指導者になること
- 新しいことを学び、生徒に還元すること
- 自分にチャレンジし、指導者としても、人としても一回り成長すること
だったら、「失敗を避けるための極論」は失敗になっちゃいます。
チャレンジし続けよう!
やりたくても、チャレンジ出来ないタイミングが人生にはあるんですよね。
例えば、去年の私は、癌の検査、何度もの手術、放射線治療などで
新しいことを勉強しにいく気力も、時間も、余裕もなかったし
私の祖母のように、身体的に不可能なこともある。
でも、そうじゃないなら、チャレンジし続けるべきだと思う。
だって、その逆こそ、本当の意味での、辞書的な意味でも、”失敗”になってしまうから。
確かにさ、ちゃんと調べて、時間計算して待ち合わせに向かえば
問題なかったのかもしれないし
試験会場を見せてあげたいという気持ちだけに囚われず
スタジオのサイズと参加者人数を計算していたら避けられたのかもしれない。
それは十二分に分かっていますよ
だから焦ったり、落ち込んだり、自分を責めたりするわけだから。
でも、そういった失敗と直面していても
当初の「目的」を達成すべく動く人でいたいと思うのです。
今回も、実技試験で思ったような結果が出なかった人達がたくさんいました。
アセスメントのやり直しがある人達もたくさんいました。
でも、コースに申し込んだときの目的は、「実技試験に1発で受かること」じゃなかったはず。
より良い指導者になるために勉強することが目的だった場合
再提出も再試験も、「再」という言葉が表すように、セカンドチャンスなんですよね。
勉強する時間が伸びた、再度フィードバックをもらえるチャンスが来た
という見方も出来るかもしれません。
もちろん、結果はガッカリすると思うし、1週間くらい引きずるとも思う。
私の様に、ストレスで目が覚めるとかということもある人もいるかもしれない。
でも、10年後には気にしていないと思う。
だけど、その10年間、コースで学んだことを使って指導はしていると思うんですよね。
ということで、今回の来日で感じたことその2は
失敗という言葉を再定義できたら成長できるということでした。
今日のポッドキャストも最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
失敗は不安だし、怖いし、実際に失敗したら落ち込むと分かっているけれど
それでも将来のためにチャレンジしたい人は
DLS公認スタンスインストラクターコースをご検討くださいね。
このポッドキャストをリアルタイムで聞いてくださっていたら
あと4日で申込がオープンします。
コース資料請求、そして質問や、私でも大丈夫かな?と思ったら
hello@dancerslifesupport.comで教えてくださいね。
来週は「他人の心はかえられない」というお話していきたいと思いますので
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Happy Dancing!
